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2 催眠は術なのか。

皆様、こんにちは。

今回は、催眠は術なのか、考えていきたいと思います。

催眠術と催眠は違うのか。おそらくそんな事を考えたこともないかもしれません。

何が違うの?と思うかもしれません。

いわゆる、日本での催眠のイメージといえば、催眠術士を名乗る人が、「3、2、1!」と言って、指をパチンと鳴らすとモニターになった人が、ガクンと力が抜けて、意識がなくなる。そして、「あなたは数字の5を忘れたので、言えなくなります。」とか、「あなたは鳥です。」なんて言われている。というイメージがあるかも知れません。それは、テレビのショーで、面白くしようという演出の入ったものですが、記憶には刻まれているかも知れません。

私の所属しております団体の1つに、NGH米国催眠士協会があります。

そのNGHによると、

“催眠術、催眠施術と、ヒプノセラピー、催眠療法という言葉を区別しないこと”

とあります。他の団体では、”催眠術”をショーで見せる催眠を表す用語として区別しているところもあります。

NGHでは、広く受け入れられるように、区別をしない。と、2つの言葉を同義語として使用しております。

しかし、催眠術、催眠療法という言葉と、心理療法という言葉は、違います。

心理療法は、私たちヒプノセラピストが行うものではありません。それは精神的な病気の診断、あるいは口頭による施術です。

催眠術、催眠療法は、私たちヒプノセラピストまたはトレーナーが行うもので、トランス状態や、暗示を使って、思考や感情や行動の習慣を調整するものです。

というような倫理規定もあります。

このように、辞書または言葉だけでは、催眠術と催眠療法に区別はありません。しかし、捉え方に語弊のある場合が、数多く見受けられます。

催眠療法を受けるクライアントの方にも多いのは、

「私、催眠にかかったことないんですけど大丈夫ですか?」

こう質問される方は非常に多いです。

この質問は、催眠という言葉の弊害ですが、催眠は誰かにかけられるもの、意識がなくなる、非、日常的なものではありません。体の力が抜けて、深くリラックスした感覚はあるものの、意識はなくなりません。あります。目を閉じたまま話すことも可能ですし、言いたくないことは言わないという選択肢も選べます。

その状態は、意識と無意識の間に、物事を判断するフィルターのような物がありまして、この判断のフィルターが緩んでいる状態と言えます。普段から私たちは、選択をしています。「この約束をするかしないか。」「買うか買わないか」「告白するのかしないのか」「そこに行くのか行かないのか」「右か左か」・・・その基準である、良し悪し、善悪、損得、等を判断しているのが、この判断のフィルターです。

意識の上で、無意識の領域に入れる必要のない情報の削除、納得のいく形へ歪曲、一般化形式への判断をしています。

この判断のフィルターを緩めて、言葉を無意識の領域で交わし、心の問題を解決し、より良い毎日を送るために催眠状態に入り、自分自身と向き合うのです。

無意識の最も大きな特徴の一つに、「無意識には現実と、非現実の区別ができない」というものがあります。ですので、もし判断のフィルターがないと、

「ここにいちばんスッパイ梅干しがあります。」

なんて言われたら、口の中が酸っぱくて仕方なくなってしまいます。実際に唾液がたくさん分泌されます。これは、現実と非現実の区別がない状態で、梅干しと言われ、無意識が体内に、”ウメボシキタヨー!” という信号を送ったので、口の中が、梅干しがきた状態になるからです。

これに判断のフィルターがあると、”梅干しって言ってるけど、視覚的に見当たらないし、匂いもない。よし、これは音声のみなので、非現実だ。体内信号は不要。” と無意識に情報がいかないので、唾液が出たり、体感覚としては異常は起こりません。

つまり、その言葉を受け取るのか、受け取らないのか判断を働かせることができるのです。

術という時は、辞書にもあります ”技、技法、手段” という意味では催眠は術です、と言えるでしょう。ですが、もう一方の、”不思議な技、妖術、魔術” という意味としてはあり得ない、もっと現実的な手法の一つであると言えるでしょう。

文章が長いか短いかわかりませんが、今回はここまでと致します。

ご一読有難うございました。

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