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15 感情について考える。

皆様、こんにちわ。

今日は、誰かと意見が別れてしまった時について考えようと思います。

人は皆別々の生き物であり、生まれてくる時も、死にゆく時もひとりですね。ですからみんな違う考えで、意見なんて合わない方が当たり前なのに、喧嘩をしたり、意見が合わなかったりすると、イライラしたり、悲しくなったり、心穏やかではいられません。

いつから私たちは気が合う仲間がいると思い込んでいたのでしょう?それは思い込みなのでしょうか?本当に心かよう仲間、あるいは愛する人はいるのでしょうか?本当の答えはあるのでしょうか。

それは答えのでない問いかもしれません。

しかし、私たちは、今、社会という集団の中にいて、足並みを揃えようとして生活をしています。こうしてブログを読むことができることも、誰かと意見が合うとか合わないとかいう感情を感じることができることも、誰かを好きになったり嫌いになったりできることも、みんな社会の中にいて、人と共に生きているからこそ感じることのできる感情なのかもしれません。

もちろん、ずっと一人で、ネットもゲームも学校も会社もなく、ひとりで生きていたら感じることのない煩わしい感情なのかもしれません。でも、もし一人だったら今、柔らかい布団で眠ることができたでしょうか?おいしいお菓子を食べることができたでしょうか。キレイな水でシャワーを浴びたり、頭を洗ったりできたでしょうか。体を洗うという概念すら持たなかったかもしれません。

そう考えてみると、誰かと意見が合わないことも、みんなで生きている証。

誰かをキライって思うこともひとりではない証。

誰かを好きって思うことも、この社会にあなたが存在している証。

そう思うと、全ての存在自体が尊く、生きていることに、意見があるということに、一人ではないと感じることに感謝する気持ちが湧いて来ます。

ひとりだったら感じることのできなかった思い。

別の意見があるということを知る知恵。

同じ行動でもみんなそれぞれ受け止め方が違うのだという発見。

毎日新しい発見があり、新しい気づきがあり、学びがあり、感動がある。

全てが学びだと思い、生きる毎日はなんて有意義で、キラキラしていて、成長があるのだろう。そんなことにも視野が届かずに、苦しい、辛いと思った日々さえも愛おしく、尊く感じることができる日まで、自分を知り、感情を学び、成長していくということが、人々と共に時代を生きるということなのでしょうか。

その答えもまた、人の数だけあるのでしょう。

おもしろいと思うか、思わないかはあなた次第です。

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