16 感情について考えてみる。2
皆さん、こんにちは。だんだん秋が近づいてまいりました。
秋といえば、食欲が増したり、読書をしたくなったり、物思いにふけったりする時間がなぜか多くなると言われていますね。どうしてでしょうか?それは新年度が春から始まり、夏を超えて、いろいろな物事に慣れてくるので、使える時間にゆとりが出てくるからなのかな、と思いました。秋から何かを始めた人は、まだ生活に慣れていなくて、読書やぼんやりとする時間はまだないかもしれませんね。しかし、「食欲の秋」や、「スポーツの秋」なんて暗示を生まれた時から聞いているために、秋になると無性に焼き芋が美味しく感じる人、とにかくスポーツをしたくなる人も多いのかもしれません。いづれにしても、ポジティブな暗示ならば、それは当然、良い事だと思います。
今日は感情とはなんだろう、という事についてまたまた考えてみたいと思います。
感情はどこからくるのでしょう。そしてどこへ行くのでしょう。
頭で考えたことは脳から来ているような気がしますが、感情は胸が震える、とか、腹の底から湧き上がる、などと言われているように、下の方からきているような感覚はあるかもしれません。
実際に、感情に向き合うセッションでも、怒りや悲しみ、恐怖、傷心、罪悪感などを取り扱いますが、「その感情は、体のどのあたりに感じていますか」と問いかけると、多くの方が、「胸のあたり」とか「みぞおちです」と答えています。
ヒプノセラピーの話とは少し離れますが、人の体は、肉体、魂、思念体の3つに別れると聞いたことはありますか?この考えでは思念という部分に感情があるという事になるかもしれませんが、動画などでもこのことを話している方はいらっしゃるのでご存知の方も多いかもしれません。
そして科学では、20世紀初頭には、アメリカの医師、ダンカン・マクドゥーガルが、肉体を離れる魂の重さを量ろうと試みました。
マクドゥーガル博士は、もし魂が存在するならば、空間を占める物質的な物体でなければならないことを確信していました。そして実験もおこない、数値も出されています。(著:レンフィッシャー博士(1942,sydny NSW) 「魂の重さは何グラム?」)
そして、魂と感情は同じなのか、別なのか。本当に一人一人、思うことが違うと思います。考えも違うと思います。肉体も魂も全部1つの自分である、またはそんなことを考えることも意味のない事だ、と考える人もいるかもしれません。その答えも、すべて、それぞれの環境や全ての要素がそう考える自分を作っている、感情があることもないこともすべてがただの個性。全てが認められるべき考え。
そう思って色々な人の考えを聞くことが、自分の蓄えとなり、成長に繋がるのではないかと思います。
感情に襲われそうになった時、こんなことを考えていると、なんだかモヤモヤした気持ちはどこかへ行ってしまうかもしれません。
その感情はどこへ行くのか。
そう考えることを、無駄なことと捉えることも、成長の糧と捉えることもまた自分次第。すべて自分に責任を持っていると、少しずつ、ネガティブな感情に囚われることがなくなってくるのかもしれません。
感情について考えるということは、出口のない迷路のようにもなれば、直線的に「悲しい!音楽聴こう!」とか、「イライラ!何か食べよう!」とだけ考えて終わることもあるかもしれませんが、すべてが何か自分の人生の肥料とか、スパイスなど、プラスになる材料として捉えていくことがいいのかなと思います。
今回はドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアー(1788/2/22-1860/9/21)の言葉でお別れです。
すべての心理は3つの段階を経る。最初は嘲られ、次に猛烈に攻撃され、最後に自明なものと認められる。
最後までお読みいただき有難うございます。心より感謝いたします。